卒業生からのメッセージ


平成29年3月 卒業生  Aさん

 私が初めてネムハイスクールに足を運んだのは、まだ寒さの厳しかった高校一年の冬でした。中高一貫校に入学し、高校に進級した私は当時の学校生活や授業についていけず、学校を休みがちになり、大好きだったバスケットボールもしなくなりました。そんな私を見るに見かねた両親は知人からの勧めでもあった「通信制高校」へ転校を考えてくれました。いくつかの通信制高校を教えてもらい、家から通える二つの学校を見学しに行くことになりました。ネムでの初めての面談で岸和田さんに出会い、入学するかどうかも決まっていない私の話を親身に聞いて下さいました。それがとても嬉しくて、転校を決めました。
 ネムハイスクールで三年間過ごしたわけではありませんが、とても濃い高校生活でした。私がとても印象深く残っている思い出は大きくわけて三つあります。
 まず、転校した年の三月の卒業式で司会を務めることになったことです。岸和田さんに「頼んだ」と言われた時は、とても驚いたと共に「ネムに入ったばかりの私がやっても大丈夫なのか」と不安もありました。卒業式当日は緊張で手がとても冷たくなったことをよく覚えています。しかし、最初の司会がきっかけでネムの先輩方やスタッフの方々と話せるようになり、友達もできました。学年が上がるにつれ、行事や特別活動に積極的に参加し、昨年の卒業式でも司会を務めさせて頂きました。二度目の司会ということもあり、前年の時よりも落ちついて行うことができました。今、この場所に立って話せているのも、これらの経験があったからです。色々な行事に参加しましたが、二年間卒業式で司会をしたことは一番の思い出です。
 二つ目は、仕事しながらの、学業との両立です。転校当初は、引きこもっていた時のくせでもあり、夜になると深く物事を考えすぎて寝つきが悪くなったり、寝不足だったりと、生活リズムが正しくないことも多くありました。ネムに転校する条件として、父親の仕事を手伝うことを親と約束し、学業との両立を始めました。最初の頃は慣れるまで時間がかかり、学校や仕事を休むこともありましたが少しずつ生活リズムが安定し、またクラブチームでバスケットボールを始めることができました。
 三つ目は、三年になり体育教科の上田さんが顧問となり男子バスケットボール部が本格的に始動し、私はマネージャーとして参加したことです。昨年八月に東京で行われた全国大会に、創部一年目にして山口県代表として出場することができました。高校では、もうバスケットボールに関わることができないと思っていた私でしたが、部活に入部したことで、仲間とスポーツをする楽しさ、チームの中で自分が何をすべきか、改めて学ぶことができました。
 私はネムハイスクールに入って、素敵な先輩・後輩・友達を持つことができました。そして、他では知ることのできなかったことや、自分のやってみたいことを見つけることができました。私はスポーツの業界で働きたいと考えていましたが、バスケ部の活動を通じて以前よりも強くそう思うようになりました。春から専門学校でスポーツビジネスを学ぶことが決まり、次は自分がスポーツをする側から、スポーツをする人を支え、運営する側になるために頑張ります。在校生の皆さんもきっと大切な何かを得ることができるように願っています。
 長くなりますが、この場を借りてお礼を言わせてください。各キャンパスの先生方、本当にお世話になりました。特に安部さん、いつも私が悩んだ時、話を聞いて下さったこと、本当に感謝しています。岸和田さん、岸和田さんがいて下さったおかげでこのネムハイスクールで卒業することができました。本当にありがとうございました。最後にお父さん、お母さん。今まで本当にたくさんの迷惑をかけてしまってごめんなさい。これからの一人暮らし、もしかしたら今まで以上に迷惑や心配をかけてしまうかもしれません。でも私は、一人で頑張っていくと決めたので温かく見守っていてほしいです。本当に今までありがとうございました。


平成29年3月 卒業生  Bさん

 私は皆さんよりも大分年上です。結婚して子どもが二人いる私が、なぜネムハイスクールに入学したかというと、それは、就職のために高校卒業資格が必要だったからです。子供たちが大きくなって、少し手が離れてきたとき、いざ就職しようと思っても、中卒で働けるところは、ほぼありませんでした。アルバイトでも職種が限定され、面接さえしてもらいところがほとんどでした。高校卒業認定だけでは、高卒だと認めてくれない企業も多く、まして何の資格もない状態では、就職なんて夢のまた夢だという現実を知ったため、思い切って高校卒業資格を取ることにしました。一時は定時制も考えましたが、時間的にも難しく、以前クラークに通っていた友人もいたため、いろいろ教えてもらってクラークで頑張ることを決めました。
 入学する前から分かってはいたことですが、勉強ということからしばらく離れていたので、勉強はほぼ1からのスタートでした。それに家事、育児、仕事に自治会のことなどが加わり、入学してからの生活は想像以上に大変でした。あまりにも大変だったので、現役時代、普通に高校に通っていたら楽だっただろうな…と思ったこともありました。でも、現役時代では知り合えなかった人たちとの出会いがたくさんあったことや、資格取得に意欲的になれて、フォークリフトやユンボ、パソコン検定等の資格をたくさん取ることができたのは、いま、大人になって高校に通ったことならではの良さだったと思っています。
 この3年間は長いようで短いような3年間でしたが、とても充実していて、楽しく過ごすことができた高校生活でした。年もすごく離れているのに、仲良くしてくれた皆さん、校長先生、何もわかっていない私に根気強く勉強を教えて下さったスタッフのみなさん、本当にありがとうございました。皆さんのおかげでここまで来ることができました。この3年間私に関わってくださったすべての人に感謝しながら卒業できる私は、本当に幸せだと思います。これから先、仕事していく中で大変なこともたくさんあるとは思いますが、皆さんと出会えて、高校生活を頑張り通せたことを胸に、これからも頑張っていきたいと思います。


平成28年3月 卒業生  Aさん

 私にとってネムハイスクールは、2つ目の高校です。私は元々バレーボールの強豪校に通っていました。朝は5時に起き、朝練、授業、部活、寮の準備、食事、課題、そして夜中に就寝する生活でした。休みは年に数えるほどで、睡眠時間はどんどん減っていきました。疲れとストレスが蓄積されると、大好きだったバレーが嫌いになりました。そのうち周りの人が信じられなくなり、つらい生活に耐えてきた気持ちを抑えられなくなりました。最終的には親に泣いて「帰りたい」とこぼす毎日になり、バレー部を辞めることになりました。部から離れると、一人で学校へ行く気力がなくなり次第にSNSに依存していきました。そして、2年生になった頃には家から出なくなってしまいました。そんな生活を繰り返したのち、2年生の夏に母の勧めでネムハイスクールへ面談に行くことになりました。
 当時の私は、「あまり労力を使わず高校生活を終わりたい」という考えだったため、面談に行くのもあまり乗り気ではありませんでした。初めて会った岸和田さんは、冷静な面と、食いつくように話を聞いてくれる面があり、いつの間にか私は、心を許して話をしていました。岸和田さんが私の長所も短所も把握したうえで生活習慣をいかに治していくのかを考えてくれたので、微かな希望が見えてきた気がしました。しかしネムハイスクールに転校してからも習慣化していたSNS依存はすぐには治らず、行事はもちろん通学頻度は減る一方でした。そこで、悪習慣を断ち切るため外に出ることから始めようと考え、アルバイトを始めました。これは想像していた以上に効果があり、私は家に篭る生活から脱することができました。
 そして、3年生に上がると環境が一変しました。卒業式準備をきっかけに友達が増えたことで、学校に来る楽しみが増えました。さらに、体育教科の上田さんがスタッフに加わり、体育のスクーリングがふえたことで元々身体を動かすことが好きだった私にとって有意義な時間が増えました。また、今年は多くの行事に参加しました。回天記念館へ行ったり、修学旅行で友達と楽しい時間を過ごしたりしました。特に印象に残っているには、ものづくりフェスタです。この活動では仲間と一緒に協力しながらサツマイモを一から育てました。炎天下での畑の整備や収穫は、大変な労力を要しました。苦労して育てたサツマイモをフェスタ当日に販売したとき、自分が携わった商品を購入してもらえる喜びを味わいました。この体験は、私にとって、初めてビジネスの面白さを体感する経験になりました。
 そして3年生。進路を決める時期になりました。元々私は、大学は自分には無縁の場所だと思っていましたが、岸和田さんのすすめで大学を目指すことに決めました。「全日制の人たちと戦えるほどの学力を身につけた自分がイメージできなかった私を助けてくれたのは、スタッフの方々でした。大学情報や入試形式のことを一緒になって調べてくれて大学に対する知識が深まりました。受験が決まると安部さん、荒井さん、針間さんに協力してもらいながら充実した対策を取ることができました。入試当日は落ち着いて取り組むことができ、自分の熱意を伝えることができました。そして広島工業大学の情報学部知的情報システム学科への合格が決まりました。岸和田さんからも「よかったな。」と言われすごくホッとしました。その一言がたまらなく嬉しかったです。
 そして、3月4日。今日で私は卒業します。この高校3年間は今までで一番苦しかった時期でもあり、一番楽しかった時期でもありました。私はこの学校にきて、沢山の人と出会い、自分の可能性を広げることが出来ました。私のこれからの夢は、この情報社会で役に立つ新しいものを作るエンジニアです。大学で学べることをたくさん吸収し、やりたいことをとことん研究していきます。この先私は、「出身高校はクラーク記念国際高等学校ネムハイスクールです。」と、誇りをもって言っていきたいです。友達、スタッフの方々、特に荒井さん、安部さん、岸和田さんには感謝しています。会える機会が減るのは寂しいですが、また会いに来るので、その時には沢山話を聞いてほしいです。最後に、父さん、母さん。これからも迷惑をかけてしまうと思います。これからは一人暮らしになりますが、ここからが「本当に自立」と考えています。早く安心させられるように頑張っていくつもりなので、応援してほしいです。本当にありがとうございました。


平成28年3月 卒業生  Bさん

 私がネムに初めて来たのは、2年生の夏が過ぎたころでした。大好きだった野球を辞め、病気になり、満足に学校に行けなくなったところ母が探して来てくれたのがこのネムハイスクールでした。最初は、「もう学校には行かない」「高校卒業の資格なんていらない」と言っていた私ですが、両親や前の学校の担任のすすめもあり、徳山校の面接に来ました。そこで初めて岸和田校長と会い、話をさせていただき、ネムの校風、ふんいき、そして野球部があることを教えていただき、諦めかけていた野球をもう一度できることを知り、私は転入しネムの一員となりました。
 ネムでの1年半の生活は、とても充実したものでした。最初は緊張し、友達ができるか不安でしたが、授業や野球を通して今では多くの友達ができました。中でも、野球部の友達とはとても良い信頼関係を築き、試合などでも生かすことができました。他にも、漢検を受検したり、野球で色々な所に連れて行ってもらったりと楽しい学校生活でした。
 しかし、そんな楽しかった学校生活の中で、一つだけ心残りがあります。それは、野球部のみんなを全国大会に連れて行けなかったことです。
 2016年7月2日、広島県国泰寺高校で行われた西中国大会。勝った方が全国大会進出という大事な大会で、相手は姉妹校広島クラーク。結果は9対8で惜敗し、手の届きかかっていた全国大会は泡のように消えてしまいました。悪夢のような厳しすぎる現実にラストバッターだった私は涙が止まりませんでした。全国大会でプレーする姿を見せる事で、両親や先生方に恩返しをしたいと考え、すべてをかけて臨んだ試合だっただけに悔しさは相当なものでした。未練がましいと言われるかもしれませんが、今でもふと思い出して悔しがることもあります。ですが後悔はしていません。チームのみんなが全力を出して挑んだ結果、コールド負け寸前だったチームが同点まで追いついたからです。野球部は今、週に一度あるか無いかの練習を一生懸命がんばっています。なかなか人数も集まらず、思うように練習できない事も多々ありますが、それでもできる限りのことを必死に頑張っています。保護者の皆様、そして卒業生の皆さん、ネムから離れてもどうか応援のほどをよろしくお願いします。
 私は春からヤマモト工業で働かせていただきます。まだ社会を知らず、希望と若干の不安を持ってこのネムハイスクールを飛び立ちます。今度は元気に会社に通うことで両親に恩返しをできたらいいなと思います。
 最後に、私はたくさんの人たちに支えられてここまで来れたことがあらためてわかりました。そこで感謝の言葉を伝えたいと思います。
 先生方、いつも笑顔で迎えて下さりありごとうございました。先生方の応援があったからこそここまで来ることができました。本当にありがとうございました。
 野球部のみんな、全国行けなくてごめん。でも1年半の間で誇りに思える本当に楽しい野球ができた。本当にありがとう。
 そして父さん、母さん、いつも迷惑かけてばかりかけてごめん。これから先、まだまだ迷惑をかけることもあると思う。また立ち止まったら、ほんの少し背中を押してください。18年間本当にありがとう。


平成28年3月 卒業生  Cさん

 暦の上では春でも、冬の寒さが残るこの季節。私がネムハイスクールに通うことになったのも、外出するにはまだ上着の欠かせないこの時期でした。私は中学生の時、学校での人間関係に精神的に疲れ学校に行く気力が無くなり、家に閉じこもるようになりました。人と関わることに疲れていた私にとって、家族以外に会わないで済むという安心感はとても大きく、一度その安心感に慣れると次第に家から出ることに恐怖を抱くようになりました。外に出ることさえ怖がっていては駄目だという思いは自分でもある、けれどインターホンが鳴るだけでも怖い、そんな状態でした。それでも、家族の協力もあり少しずつ外に出られるようになった頃、ネムハイスクールの存在を知りました。中学生でもフリースクール生として通える所、それがネムでした。学校にも行けず、人と関わる場所のなかった私を両親はネムに行かせてくれました。中学3年生からネムに通い始めた私ですが、暫く人と関わっていなかったことや、周りの人が皆歳上ということもあり、はじめは教室に来ても自分から誰かに関わって行くことが出来ないでいました。けれど、その緊張も少しずつほどけていきました。教室に行くと、スタッフの方と一緒におはようと声をかけて下さる先輩、お昼を食べていると遊びに来て下さり、休憩時間になればトランプをしないかと誘って下さる先輩、ネムにはそんな先輩が大勢居たからです。始めの頃こそ限られた人としか話せなかった私ですが、温かく接してくれる先輩方のお陰で、気が付けば、人と関わることに恐怖はなくなっていました。
 中学生だった私が様々な行事に参加しようと思ったのも、先輩方が一緒にやろうよと声をかけて下さったからです。行事では、沢山の新鮮な経験が出来ました。特に、秋にあるものづくりフェスタでは沢山のことを学びました。自分達で育てたさつまいもを使ってカレーを作り販売するのですが、先生方も居るとはいえ、あくまでも生徒が中心となり店を回すのでとても大変でした。けれど、売り子として立っていたことで来て下さった方と会話を楽しむことが出来ました。そしてなにより、お客様から直接カレーが美味しかったと言ってもらえた時は皆で協力しながら頑張った分、とても嬉しかったです。
 私は中学3年生だった1年間だけでも、ネムで沢山のことを学ぶ機会を頂いて、成長させてもらいました。人と関わることの大切さ、思いやりの心。そしてものづくりをきっかけに接客に興味を持つようになり、アルバイトをしたいと思うようにもなりました。ネムで過ごしていなければ、そんな心境の変化も訪れなかったと思います。まだまだネムで学ぶことは多い、そう感じた私は高校生活もネムで過ごすことを決めました。
 高校生になった私は、人間関係では自分から人に話しかけられるようになり、人と関わることで様々な考え方に触れました。学年が上がり後輩が出来た時には、自分がそうしてもらったように、些細なことでもきっかけにして積極的に話しかけました。時には、話しかけることで相手の迷惑になるんじゃないか、そう考える時もありました。けれど、そんな時勇気を出して自分から人と関りに行ったからこそ、今。大切に思う友人や後輩が居ます。
 また高校生になりすぐ始めたアルバイトでは、お給料を頂きながら働くことで責任感を持てるようになりました。そこでは、ものづくりの時とは違い短時間ではなく長期間働くことで、接客も楽しいことばかりではないと痛感しました。けれど、苦楽を知ったことで改めて接客に興味を抱き、接客をしっかりと勉強したいと思うようになりました。そして私の思いは実現し、4月からは専門学校でホスピタリティを学ぶことが決まりました。
 私が初めてネムに来た時、将来のことなんて全く考えてもいませんでした。そんな私を4年間もネムに通わせてくれたお父さんお母さん、ずっと沢山心配をかけてごめんなさい、本当に感謝しています。ありがとう。これからもよろしくお願いします。
 家に閉じこもり嫌なことから逃げるだけだった私が沢山の人と関わり、前を向いて歩けるようになったのはネムハイスクールがあったからです。長い間、本当にありがとうございました。


平成27年3月 卒業生  Aさん

 桜のつぼみがふくらみ始めた今日、僕たち卒業生はネムハイスクールを旅立ちます。
 僕は、中学を卒業してから全日制の学校に通っていましたが、難病指定の病にかかってしまい、満足に学校に行くことができず、勉強にもついていくことができなくなったので、退学を余儀なくされました。でも、そんな僕を両親が心配して、このネムハイスクールを勧めてくれました。
 ネムハイスクールに入学した頃は、初対面の人達ばかりでどう接するのかが分からず悩んでいました。そんな時、近くにいた人が声をかけてくれて、それから仲良くなることができました。僕はネムハイスクールに入ったことで、本当に良い友人をたくさん持つことができました。たくさんの友達と一緒に楽しい日々を過ごし、多くの経験をすることが出来て良かったです。
 今日、この場を借りて、お世話になった人に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
 まず、十八年間、自分を育ててくれた両親へ。いつも迷惑をかける事の方が多かったですが、二人に温かく見守ってもらえた事は、自分にとっての大きな宝となっています。病気で辛かった時も受験で大変だった時も、どんな時でも僕のことを見守ってくれる両親がいたから、僕はこれまで頑張って来れたのだと思います。本当にありがとう。
 今から、実家を離れることで心配や迷惑をかける事があるかもしれませんが、今まで通り、見守っていて下さい。
 次にネムハイスクールの先生方へ。岸和田校長先生には厳しいことを言われることも多かったすが、今から考えてみるとそれは自分の為に言って下さったのだと理解できます。他の先生方も、時に厳しく時に優しく接してくださってありがとうございました。
 そして最後に友達。ネムに来るたびに優しく接してくれてありがとう。みんながいたからネムに来る楽しみがありました。皆と毎日楽しく過ごせたことは僕にとって大切な思い出です。最初は暗い気持ちで来ていた僕がネムに来て本当によかったと思えるようになったのは、友達みんなのおかげです。本当にありがとう。
 僕はこの先専門学校へ行きます。今はまだ未熟なところが多い僕ですが、専門学校を卒業するまでに少しでも、立派な大人になれるように、日々精進し続けたいと思います。辛いときや大変なときは両親やネムの先生、友達のことを思い出して頑張っていきます。僕にこんな気持ちを与えてくれた皆さん、本当にありがとうございました。


平成27年3月 卒業生  Bさん

 高校一年生の秋に私がネムハイスクールに入学してから、二年と半年が経ちました。そして、卒業式という大きな節目を迎えた今、走馬灯のようにネムで過ごしたたくさんの楽しい思い出ばかりが頭に浮かんで、とても切ないです。
 ネムでの話をする上で大切な、ネムに入る前の私の話をします。私は中学の頃から人の目や言葉を気にして、人と接するのが怖くなり、学校に行かず家にこもるようになりました。その自分を変えたいという思いで全日制の高校に進学しましたが、そこでも人と接するのを恐れて逃げてしまい、家に帰ってまた閉じこもるようになりました。
 家から出た外の世界は自分を傷つけるものだと決めて、出来る限り外に出なくて済むような生活をしたいと思っていました。でもそう思うと同時に、外の世界に対して強い憧れの気持ちを抱きました。そんな矛盾した気持ちを持ちながら、何日も家から一歩も出ない日が続くと、沢山の人に迷惑をかけてまで自分が選んだ生活なのに、満足するどころかどんどん辛くなるばかりでした。
 そんな私に母がネムハイスクールという学校を教えてくれました。初めてネムに来て岸和田さんの話を聞いたとき、何気ない会話なのに岸和田さんが話すと何故か面白くて、自然に笑顔になったのを覚えています。岸和田さんは覚えていないと思いますが、私が当時ハマっていた韓国ドラマの話をした時に面白おかしく相づちをうちながら聞いてくださったことがすごく嬉しかったです。
 その後、高校一年の夏休みが終わってから私はネムに入学しました。最初はとても緊張しましたが、ネムの先生方はいつも「よくきたね。」と温かく迎えてくださり、ネムに行かない日が続いた時にはひとこと優しい言葉でメールをくださって私がいつでも来やすいような環境を作ってくれました。そうした先生方のおかげで、私はいつネムへ行っても、いつも「来て良かった」と心から思えました。
 ネムハイスクールでは色々な行事があり、その行事に参加する度に、各キャンパスの友達ができました。大津島の海で泳いだ事、周楽旅行で行った大阪で道に迷いながらも充実した一日を過ごした事、ホテルの部屋で夜遅くまでいろんな話をした事、芋を植えたこと、芋を掘った事、野球部と卓球部の応援に行って応援する側の私がパワーをもらった事、とても書ききれないくらい本当に沢山の素敵な思い出ができました。今までずっとなるべく人と関わらず生きていけたら・・・と思っていた私ですが、いつのまにか人と接することで自分のことが見えたり、自分のことを好きになれるんだと気付かされました。
 そして、ネムに入って新しく挑戦したことがたくさんあります。ずっとやりたかった韓国語を習い始めたり、フライドチキンを売るバイトを始めたり、NHKの取材を受けたりなど今までの自分を変えるためにしたこれらのことは、全て確実に今の私の力になっています。
 そして、最大の挑戦は大学受験です。大学進学を目指して半年間、一生懸命勉強して一般受験をしましたが、残念ながら良い結果は出ませんでした。しかし、そのチャレンジをしたことで更なる次の目標に向かってまた新たなスタートをきる勇気ができました。
 受験までの間、親身になって支えてくださったのりこさん、馬越さんには本当に感謝の気持ちで一杯です。もう一年勉強して、確実な力をつけて、来年はお世話になった全ての方と一緒に笑えるよう精一杯頑張ります。
 最後に、いつも一番近くで私のことを見守り続けてくれた両親へ。
 私が部屋に閉じこもっていた時、お母さんが部屋のドアに「みーちゃんの笑ってる顔を見るのが一番うれしいよ」と書いた手紙を貼ってくれたことがありましたね。あの言葉はずっと私の心に残り続けています。沢山心配をかけて何度もお母さんに涙を流させてしまったけど、これからはそれ以上にお母さんを笑顔にしたいです。私もお母さんの笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そしてお父さん。お父さんと私はお母さんいわく性格が良く似ているらしいです。お父さんと話すことをさけていた時期もあって、お父さんを傷つけてしまってごめんなさい。お父さんの不器用な優しさで包まれている娘の私は幸せ者です。二人に愛されて、二人の元に生まれてこれて良かったです。
 私は本当に周りの人に恵まれていると思います。ネムハイスクールに入って一番強く思うことは、日常の小さな幸せに敏感になり、それを感謝できるようになり、自分のことを昔よりずっと好きになることができたことです。ネムに入っていなかったらこの幸せに気付くことができなかったかもしれません。この学校で出会った素敵な先生や友達と過ごした二年と半年は私にとって一生の宝物です。ありがとうございました。


平成27年3月 卒業生  Cさん

 私は小学生のころから習字教室や学習塾へ通い、毎日、周囲の人に心配されるほど一生懸命に勉強していました。当時の私には勉強が楽しくて仕方がありませんでした。百点満点のテストをほめられ、周囲の期待に応え、『C君』は賢いと言われる事が好きで好きでたまりませんでした。
 両親はそんな私を応援してくれ、進学実績の良い私立の中学校へ進学させてくれました。しかし、私立の学校には私よりもずっと頭の良い人が何人も居て、勉強もとても難しくなり、ニガテ科目が日増しに増えてゆきました。スポーツの得意でない私には、全員参加の部活動でも満足な結果を出せず、優等生の『C君』ではいられなくなりました。
 毎日五時に起床して登校し、塾がある日は終電ギリギリまで勉強してから帰宅するというような生活を続けたにもかかわらずです。
 私は、今考えるとそんなことで思いつめるのはバカらしいとすら感じますが、自分は何のためにつらい思いをしなければならないのか。自分の努力にいったい何の意味があるのか。自分はなぜ報われないのか。そんなとりとめのないことを延々と考え、寝坊して部活動の朝練を欠席したことをきっかけに、たびたびズル休みをするようになりました。
 クラスメイトからは「なぜお前だけズルをするのか」と問い詰められるようになり、ますます学校に行きにくくなり、しだいに友達からの風当たりも強くなり、そして気がついたときには不登校になっていました。
 そんなとき、「とりあえず楽して高卒の資格が取れればそれでいいや」と考え、父に薦められるがまま転入したのがネムハイスクールです。
 ネムハイスクールはいつ来ても良く、教室に来たらとりあえずたわいもない話しをして、そして課題を片付けたら自分自身にとって必要と思うことをする。という、良い意味でとても自由で、学校らしくない場所でした。そして、勉強をすることこそが自分の存在意義かのように考えていた私にとってはとても新鮮で、刺激的な場所でした。
 はじめのうちは岸和田さんや安部さんたちに話しかけられることすらわずらわしく感じていましたが、些細な出来事でも真剣に相談にのってくださったスタッフの方々や、アットホームな雰囲気のおかげで次第に他の生徒と打ち解けることもできるようになりました。
 私の知っている普通の学校とは何もかもがまるで違うネムで過ごすうち、私は次第に成績や、他人からの評価のみにこだわるのではなく、自分自身について深く考えられるようになったと思います。自分の将来のことや、やりたいことを考えられるようになったことで、自然災害、特に豪雨と土砂災害に興味を持ちました。土木について学び、防災事業に携わるという夢を見つけることができたのも、ネムハイスクールの皆さんと、ここに通わせてくれた両親のおかげです。
 私はこの三年間で本当にたくさんの方にお世話になりましたが、とくにお世話になったのが岸和田さんです。岸和田さんには三年間、野球の試合や芋作りなどのイベントで、準備や買出しなど、ことあるごとに手伝わされました。ですが、進路の相談にのっていただいたり、面接の練習で厳しくご指導いただいたおかげで夢を見つけることができ、無事に日本大学の土木工学科に進学することができました。ネムに転入してきたあのころの私からは想像できません。本当にありがとうございました。
 最後になりますが、お父さん。お母さん。今まで育ててきてくれてありがとう。月並みな言葉になってしまうけど、他の子供より何倍も手がかかる僕を支えてくれてありがとう。大学に進学してからも迷惑をかけることはあると思うけど、これからもよろしくお願いします。
 これからはネムハイスクールで学んだことを生かし、悔いのないよう自分の人生を歩んでゆきたいと思います。ネムハイスクールの皆さん、三年間お世話になりました。本当にありがとうございました。


平成26年3月 卒業生  Aさん

 僕は中学校一年の頃、学校での人間関係がうまくいかず悩んでいました。そのことを先生に相談しましたがいつも、それぐらいでくじけるなとしか言わず、まともに相談にのってもらえませんでした。そして、周りとの関係は日に日に悪化していき、学校ではいつも孤立していました。そんな学校生活に耐えきれなくなり、中学校に入って一か月で学校に行くことができなくなりました。
 不登校になって僕は人を信用できず、いつも自分勝手なことをして周りに迷惑をかけたり、人を傷つけるようなことばかりしていました。家族にもいつも反抗して、喧嘩ばかりで、何度もひどいことを言いましたが、家族は、そんな僕を見捨てず正面から向き合って、僕を正そうとしてくれました。
 そんな時、父からネムハイスクールを紹介されました。最初は、どうせここも中学校と同じようなところなんだろうなと思い、ネムに行くのがとても嫌でしたが、他に行くところがなかったのでネムに通うことにしました。
 ネムに通い始めたころは、中学校でのつらいことを思い出してしまい、怖くて人と話すことができず、一人で過ごす日が多かったのですが、岸和田さんが僕と同級生の間に入って話をするきっかけを作ってくださったおかげで友達ができました。そして僕は、人と接することが怖くなくなりました。岸和田さんがいなければ、僕は今でも人と話すことができず、一人のままだったと思います。
 そして、僕が高校三年生になったときに、岸和田さんと三年生が中心となって野球部を作り、僕は野球部に入ることになりました。野球部ができたばかりのときは、練習に人が集まらず、四人で近所の公園を使ってキャッチボールをするぐらいしかできませんでした。それに、僕は今まで一度も野球をしたことがなかったので、いつも練習でみんなの足を引っ張ってばかりでした。しかし、他の部員たちは、僕に優しく指導してくれて、練習を重ねていくうちに、少しずつ野球が上達していき、人も集まるようになりました。それからは、グラウンドを借りて、野球部全員で全国大会に向けて練習していましたが、予選で負けてしまい、とてもくやしい思いをしました。でも僕は野球部に入ったことで、努力することや仲間と協力する大切さを知ることができました。
 僕はネムハイスクールに来たことで、人としてすごく成長できたと感じています。自分がこんなに変わることができたのは、友達やスタッフ、家族が支えてくれたおかげです。
 友達がいてくれたから僕は人を信頼できるようになり、学校が初めて楽しいと思うようになりました。野球でも、一緒に喜んだり落ちこんだり、みんなと過ごした時間は僕にとって掛け替えのない時間でした。
 スタッフの皆さんには、勉強や大学入試のことでいろいろとお世話になりました。僕が大学のことで悩んでいるときも、いろんなことを相談にのってくださったおかげで無事に大学にも合格することができました。
 そして家族は、僕が人を信じることができなかったときも、そんな僕を理解し受け入れてくれました。いつも優しく、僕のことを決して否定せずに信じてくれた家族のおかげで僕はネムハイスクールに来れて、人として成長することができました。
 今の僕があるのは、今までみなさんが支えてくださったおかげです。本当にありがとうございました。
 そして、これからの人生をネムハイスクールで学んだことを生かして、後悔することのないよう自分の決めた道をしっかりと進んでいきたいと思います。


平成26年3月 卒業生  Bさん

 僕がネムに入学したのは一年生の冬です。前の学校で挫折してしまい、学校に行けなくなりました。そんな時に紹介されたのがこのネムハイスクールでした。約三か月間部屋に引きこもっていたため、本当に学校に通えるようになるのかとても不安でしたが、ある人に出会うことによってその不安はなくなりました。その人は、昨年亡くなった前校長の野村さんです。野村さんは初めて話した時に、自分の気持ちを理解してくださり、初めて信用できる先生に出会えた気がしました。
 そして、ネムに転学し、自分の悩みにも向き合うことができるようになり、楽しい高校生活を送ることができるようになりました。この場に野村さんがいないのは残念ですがとても感謝しています。ありがとうございました。
 ネムでお世話になった人は沢山いますが、中でも一番お世話になったのは岸和田さんです。岸和田さんは普段は生徒とふざけあったりしておもしろくて楽しい人ですが、自分達の進路や悩みについての話になると、人が変わったように真剣に考えてくださいました。
 本当に感謝しています。でも本当に感謝しなくてはならないのは、野球のことです。僕は野球のことで挫折して前の学校をやめてしまったため、もう二度と野球なんかやりたくないと思っていました。でも岸和田さんは「野球で嫌なことがあって挫折したなら、もう一度楽しい野球をして野球の嫌な気持をなくしたほうがいいぞ」と言って、野球部を作ることを提案してきました。最初はもう野球はしないつもりだったので、断っていましたが、岸和田さんは僕のことを気付かって何度も何度も言ってきてくださり、僕もやってみようという気持ちになりました。実際にやってみると、キャプテンとしてチームをまとめるのは大変でしたが、本当に楽しくて、結果も県大会を優勝するという最高のかたちで締めくくることが出来ました。今考えると、もしあのとき野球をしていなかったら、後悔していてこんなにも清々しい気持ちで卒業式を迎えられていなかったと思います。ネムに岸和田さんがいてくれて本当に良かったです。ありがとうございました。あと野球部がこれからずっと継続してくれたら嬉しいです。
 次にお世話になったのは、ネムの女性スタッフの、安部さん井上さん中富さん針間さんです。主に課題や進路についてのサポートをしていただきました。いつも笑顔で迎えてくれる人たちでした。時には僕たちが間違ったことをしたら、叱ってくれて先生方からは勉強以外のこともたくさん教わりました。本当にネムには欠かせない四人でした。いつも、僕のバカみたいなはなしに付き合ってくれて、笑ってくれてありがとうございました。四人がいてくれたおかげで、楽しい高校生活を送ることが出来ました。本当にありがとうございました。
 ネムの先生方にはもちろんのこと、共にネムに通った仲間にも感謝しています。僕がネムの教室に初めて入ったときに緊張している自分を皆は温かく迎えてくれました。そんな皆だったからこそ、僕はネムに通えました。皆と仲良くなってからは、本当に毎日が楽しかったです。今考えると、バカなことして、バカみたいに笑っていた思い出ばかりが頭に浮かびますが、それが自分の良さであり、ネムの皆はその自分の良さを引き立ててくれるような人達で本当に大好きでした。これからは、それぞれ別の道に進むけど、山口に帰ったときはまた皆で集まって、ネムの思い出話で盛り上がりましょう。今までありがとう。
 ネムの人達には、感謝の気持ちを伝えられましたが、まだ一番伝えたい人に伝えられていません。それは、十八年間見守ってくれた父と母です。いつもだと絶対言えないのでこの場で言わせてください。今まで育ててくれてありがとう。自分と兄のために仕事を頑張ってくれてありがとう。毎日おいしいご飯をありがとう。ネムに入らせてくれてありがとう。二人の子供で本当に幸せでした。四月から福岡の大学に行って、また迷惑をかけるけど、勉強を頑張って、就職して、少しずつ親孝行したいと思います。今までありがとう。これからもよろしくお願いします。
 ネムの皆さん、二年間半本当にありがとうございました。


平成26年3月 卒業生  Cさん

 僕が初めてネムハイスクールに来たのは、中学二年生の冬でした。中学一年生から不登校になり、人間関係やストレスに悩むことが多く、気がつけば学校に行かないことが普通になっていました。そんな中、先生からネムを紹介されたのですが、人と関わることが嫌でなかなか行くことができず、結局中学生のうちに通えたのはたったの二回だけでした。そのまま中学校を卒業し、これからのことを考えた時にネムを思い出し、もう一度頑張ろうとネムに入学しました。
 初めの頃は色々な不安などもあり、一週間に一度しか通えませんでしたが、スタッフさん方が自分のことを理解してくださったことや、友達が僕を受け入れてくれたことが嬉しくて、学校が段々楽しくなりました。ネムにきてからも悩んだり大変なこともありました。ですが、ここで諦めてしまったらまた昔みたいになってしまうんじゃないかということと、周りの人たちのおかげで乗り越えられました。
 特にスタッフさんにはたくさんお世話になりました。安部さん針間さんは学習の面でとてもお世話になりました。わかりやすく、時には厳しく教えてくださってありがとうございました。中富さん井上さんは同じ趣味について深い話ができて楽しかったです。毎回下さない話に付き合ってくださってありがとうございます。そして、岸和田さん。岸和田さんは僕がネムに来て少し経った頃、僕が悩んでいることを察して声をかけてくださいましたね。その頃の自分は周りの人を信頼しきれず、一人で抱え込むことが多かったので、相談にのってくださったことや、その時の言葉のおかげで救われましたし、それがきっかけで自分自身も変わることができました。本当にありがとうございました。
 もちろん、友達や家族にも支えられました。僕が自分らしくいれたのは、友達のおかげです。こんな自分を受け入れてくれてありがとう。そして、一番近くでずっと支え続けてくれた家族。今までたくさん迷惑かけてごめんね。それでも十八年間育ててくれて本当にありがとう。今すごく幸せです。これからも体に気を付けて、ずっと元気でいてね。
 三年間ネムでたくさんのこと経験できて、僕自身成長できたと思います。初めてネムの卒業式を見た時、先輩方が答辞を読んでいらして、自分には絶対に無理だと思っていました。ですが、今自分も先輩方のように答辞を読んでいて、ネムに入学するのを決めたこともですが、自分の気持ちや行動次第で変わることはたくさんあると改めて感じました。ネムに入学する際、周りからは少し違った目で見られるかもしれないことや、通信制ということにコンプレックスを感じていました。しかし、振り返ってみるとネムに来られたことが僕にとって幸せなことだと感じます。一人の人間として色々なことを学べて、三年間の積み重ねで今の僕がいると思います。今日で卒業してしまうのはとても寂しいですが、これからもたくさんのことを経験して、もっともっと成長していって、いずれは岸和田さんのように悩んでいる人を救えたらいいなと思います。三年間、本当にありがとうございました。


平成25年3月 卒業生  Dさん

 僕がネムハイスクールに来たのは、高校二年生を留年し学校をやめ精神的にもおかしくなり、相談所や心療内科などに通っていた時でした。その頃の僕は何をやってもネガティブに考えてしまって人に会うのもいやでした。生活環境を変えようと福岡の学校に行こうと思っていましたが、すごく不安でした。人に会うのもいやなのに都会なんて暮らせるはずがありません。さまざまな不安が重なり本当にダメになっていた時ネムハイスクールを知りました。すぐに親が連絡し面接することになり、正直あわてました。学校の面接自体いやですし、自分の夢を言っても否定されるだけだと思っていたので、なおさら受けたくありませんでした。まあでも行く事が決まっていたので覚悟を決めて行きました。行ってみたら、良い意味でまったく学校らしくなく、先生もまったく先生らしくない不思議な学校でした。岸和田先生と面接して、自分の夢、ミュージシャン、音楽家になという夢を語ったら意外にも応援してくれて、「夢を叶えるためにも高校は卒業しよう」と言われて、やる気が出て通うことになりました。友達も新入生歓迎会の「たこ焼きパーティー」ででき、その友達と遊んだりしふざけ過ぎてて怒られたりしましたがすごく楽しく、全く楽しくなく、憂うつだった過去二年間分を取り戻せた気がしました。色々なハプニングなどもあり一時期落ち込んでいましたが、自分の力で、立ち上がることができ少し成長できました。ネムには一人一人個性があり違う過去があったりなかなか独特で、普通社会になじめない僕には居心地もよく、刺激的で作詞や作曲においても、影響を受けています。自分のペースで自分らしく生きられることのできるネムが本当に大好きです。特に自分らしく生きるというのは、僕が音楽をやっている理由の一つです。中学の時ロックに出会い衝撃を受けギターに目覚め夢を追い続けていて、ロックや音楽なら自分らしく生き自分を表現できる自由さがあり、でも一方では自由すぎて迷ってしまうこともあります。そんな時ネムでのことを思い出せば少し前に進める気がします。
 本来なら、ここでお世話になった先生方や人々、両親などに感謝の言葉を述べるべきですが、僕はまだ夢を追っている途中でもあり、ある意味では今からがスタート旅の始まりです。なのでちゃんと夢を叶え、目的の場所に着いた時に感謝の言葉を述べさせてもらいます。なので僕がもしくは僕のバンドがCDをリリースしたときには買ってください。本当にお願いします。
 最後に一生の思い出をくれたネムハイスクール本当に楽しかったです。ありがとうございました。そしてまた会いましょう。


平成25年3月 卒業生  Aさん

 僕は、ネムハイスクールで高校生活を過ごしたことで、たくさんの掛け替えの無いものを得ることができました。
 自分のことを認めてくれる友人、信頼できる先生、そして自分を素直に受け入れ、正しく信じられる心。ネムで得たそれらは全て、以前僕が失ったと思っていたものばかりでした。
 僕は中学生の頃、不登校になりました。原因は沢山ありますが、何をやるにも「真面目」に頑張り過ぎたこと、誰も自分のことを理解してくれていないと感じていたこと、そして自分で自分を追いつめ、心身ともに憔悴していたことが主な原因です。
 不登校になってからは、周りの人間が僕にどう接していいかわからなくなったようで、両親にはカウンセリングに連れ回されたり、友人との関係が希薄になったりしました。そのため、親しい人たちにも理解を得られていないと感じ、寂しさが募りました。
 しかし、両親は僕のことを理解しようとしていたからこそカウンセリングに連れ出してくれ、友人や中学校の先生も、その時にできるだけの対応をしてくれたのだと、今となっては思い、感謝しています。
 当時の僕は、不登校のまま中学校を卒業し、なんとか自分を変えようと入学した全日制の高校でも結局不登校のままで、見兼ねた両親がネムハイスクールを紹介してくれたので転学しましたが、初めはすぐに毎日通えていませんでした。
 しかし、ネムがいつでも通える場所だということもあり、心の整理がついたとき、学校に通いたいという気持ちが湧いてきて、次第にネムに通えるようになりました。
 最初の頃は、朝早くから登校したり、長い時間ネムに滞在することができませんでした。しかし、ネムに来る回数を重ねる内に友だちが出来、より長い時間、ネムに居たいと思うようになりました。それにより、少しずつ早く来れるようにしたり、遅く来ても最後まで居るように努力し、今では毎日、朝から夕方まで通えるようになりました。
 ネムに通い続ける中で、自分が変わる様々なきっかけがありました。その中でも、野村さんに叱られたことは大きなきっかけになりました。自分のために、大きな雷を落としていただきありがとうございました。
 岸和田さん、落ち込んだ僕を心配し言葉をかけてくれたり、相談にのってくれたのが本当に嬉しくて、励みになりました。
 思えば岸和田さんには、ずっとお世話になってきました。悩んでいるときは、どんな些細なことでも聞いてくださり、推薦入試の面接の練習では、厳しく指導していただき、志望校に合格することができました。また、相談するだけではなく、昼休みに一緒に遊んだりしたことは、とても楽しい思い出になりました。自分の休みが続くと、心配して家にまで来てくれたことが心の支えになり、ネムに続けて通うことができるようになりました。岸和田さん、いつも見守ってくれてありがとうございました。
 ネムに来て3年間を過ごし、本当に自分自身を成長させることができました。今の僕があるのは、今まで僕を支えてくれた全ての人たちのお陰です。本当にありがとうございました。
 僕は今日、卒業という、一つの「節目」を迎えます。この節目で、今、僕が感じていることは、掛け替えのない友人や先生と出会い、自分と向きあい信じることができるようになったこのネムハイスクールを、卒業できる喜びです。
 この先でまた、何度も節目が訪れることになると思います。そのときは、今日のように自信をもって晴れ晴れとした気持ちで次の一歩を踏み出せるよう、後悔のないように頑張っていきたいです。


平成25年3月 卒業生  Bさん

 私は中学校の三年間、ほぼ学校に行けませんでした。それは、人が怖くて、人ごみや人がいっぱいいる所にいることができなかったからです。中学校を卒業して、全日制の高校に入り、最初は順調に通っていましたが、人と接することが怖かった私は、なかなかクラスになじめず、先生も信じられなくなり、だんだん遅刻や早退が増え、学校を休みがちになりました。そんな時ある人からネムハイスクールのことを聞いて母がネットで調べてくれました。私は、人見知りが激しいので、ネムで友達ができるかすごく不安でした。しかし、時間はかかりましたが、次第に友達もできてネムに来るのが苦痛ではなくなりました。自分のペースで学習を進めていける環境が自分に合っていたようで、そのうち、毎日通えるようになりました。教室の中で不安を感じず、落ちついて過ごすことができるようになりました。また、人ごみにいても平気になったり、人と話すのが楽しいと思えるようになりました。
 三年間、自分のペースで通い続けた中で一番楽しかったことは、二年生のときに参加した周楽旅行です。三日間、山口校のみなさんと充実した時間を過ごし、今まで以上に友情を深めることができました。私にとって、周楽旅行はとても良い思い出となりました。
 また、三年になり、管理栄養士になるという目標がみつかりました。そのために、大学進学の準備を始めました。入試では、面接がありました。私は人前で大きな声で話すことが苦手でしたが、大学入試で合格できた時は、本当に嬉しかったです。不安はいっぱいあったけど、練習の成果を出せて、今まで練習してきてよかったと思いました。このことがきっかけで、人見知りも少しずつおさまっていき、ネムの人たちだけでなく、近所の人への接し方に変化が見られました。自分から挨拶するようになり、相手からも声をかけてくれるようになりました。ネムに転校してから、いろんな人と話すことができるようになり、人と接することが苦手だという弱点も克服でき、自分なりに成長したなと実感しています。私がこんな風に成長できたのも、ネムでの高校生活のおかげだと思います。ネムを作られた野村先生は、私の良いところを見つけて下さり、良い方向へ導いて下さいました。山口校の私は、会う機会が少なかったですが、月報のトーフづくりのにがりを通して、野村さんの問いかけにいつも自分のことを見つめ直し反省しながら成長できたと思います。卒業式で直接言えないのは残念ですが、とても感謝しています。
 ネムの先生方にもいろいろよくしてもらいました。相談にのっていただいたり、勉強をわかりやすく教えて下さったり、休憩中に話をしたりと楽しいことばかりでした。ネムに来て本当に良かったと思いました。三年間、本当にありがとうございました。
 最後に、お父さんお母さん、学校のことが原因でよく喧嘩したね。お母さんには、酷いことをいっぱい言って悲しませたね。お父さんには、態度が悪いことでいっぱい怒られたね。本当にごめんなさい。こんな私を育ててくれてありがとうこれからも迷惑かけるかもしれないけど、よろしくね。
 私は今から、将来の管理栄養士になるという目標のために大学に行って頑張ろうと思います。なので、応援よろしくお願いします。


平成25年3月 卒業生  Cさん

 私がネムハイスクールを知ったのは中学の卒業前でした。中学のころ、私は学校や人と話すことが怖くて家に閉じこもっていました。
 友人や先生方が優しく接してくれることに負い目を感じ「学校に行かなくては」とただ焦るだけの3年間でした。高校の入試にも行くことができず途方に暮れていた時、母がネムハイスクールに連れて行ってくれました。ネムハイスクールに入学しても、初めは休みがちでなかなか登校できなかったのですが、先生方の手助けで少しずつ、登校できる日を増やしていきました。それからは岸和田さんが紹介してくださったおおかげで先輩方とも仲良くなることができました。先輩方と話をしたり、一緒に絵を描いたりするうちに、学校にも慣れ、人と話すことを楽しんでいる自分がいました。しかし、仲良くしてくださっていた先輩方が卒業されて、私はあまり他の学年の人と交流していなかったことに気づきました。そこで、今まで話さなかった人とも話してみたいと考えだしましたが、限られた範囲の中でしか、人と接していなかった私には、どうしたらいいのか分からず、卒業された先輩に相談しました。先輩はたくさん質問をして、相手を知るようにとアドバイスしてくださいました。それを実践してみると、同学年にも、後輩にも友達ができ、話したことがない人にも、積極的に話しかけることができるようになりました。ひどい人見知りで、知らない人と関わることを嫌っていた中学のころと比べて、とても成長したと実感しました。
 先輩方の卒業式では司会を任され、人前でも動じず堂々としていられるようになり、以前に比べ、体調を崩す日も減り、心身ともに成長できたと感じます。あっという間の3年間でした。この3年間で多くのことを学ぶことができました。心を許せる友人や先生方に出会え、自分がやりたいことはなんなのかを見つけることができました。私を支えてくださった友人、先生方、本当にありがとうございました。いつも迷惑をかけてばかりだった私をずっと守ってくれた母。今まで支えてくれていてありがとうございました。大学に行く私をどうかこれからも見守っていてください。
 これから、後悔したり、悩むことがたくさんあると思います。しかし私は、ネムハイスクールに入学し、こうして卒業したことを誇りに思い、この誇りをかてにどんな壁も乗り越えていきます。そして将来、環境保全に関わる仕事につくために努力し続けていきたいです。


平成24年3月 卒業生  Aさん

 私がネムハイスクールを知ったのは中学の卒業前でした。中学時代は、裏切られたら裏切って、疎まれるだけの3年間で、たくさんの人を嫌い、不必要とされることに慣れ、自分は出来損ないだと思っていました。未来は見えないし、15歳の私に何の力があるわけでもなく身動きもとれず、高校入学なんてお前には無理と笑った大人の中で、ただ何も言わず息をしていました。
 そんな時、母の知人にネムハイスクールという場所があると教わり、両親の「行ってみんか?」という言葉に促され面談をしたのが始まりです。
 自信も、意思も、希望もなく、成り行きのように入学した当初、中学3年間で目上の人との接し方など何も学んでこなかった私は、不安しか持たず、失礼な態度ばかりとって返事の1つもできないような人間でした。頑張るのは恥ずかしいと思っていたし、「努力もせずに報われるわけない」と思うことで何もできない自分を守っていました。そんな私でも、誰1人見放すことなく新しい環境の中ずっと傍で支えてくれたのは先輩や先生方でした。勉強だけでなく問いかければ色んな色の答えをくれて、学ぶことは楽しいと教えてくれて、小さな頑張りも大袈裟なほど褒めてくれる。初めて、先生と呼べる大人を知りました。
 私が私の手で壁を壊すのを待っていてくれて、温かい空間へと迎え入れてくれた先輩方は姉や兄のような存在となり、私が私であること、1人じゃないこと、世界はとても広いことを教えてくれました。
 そんな中、一年で崩れた惰性をどうしようともせず、優しさに甘えて、ネムに行かない日がほとんどになりました。前を向くということが全くできないことに焦り、いつまでもつきまとう劣等感の重さや、過去の自堕落な生活へ戻りたくない気持ちと、だらけた空間から抜け切れない矛盾への嫌気で心が堕ちた時、心配してくれる先生達の連絡も遮断し、ふさぎ込んだことがありました。その時、家族ともうまくいかず家庭内でも孤立していて、目の前にある莫大な時間も、独りじゃどこを見ても真っ暗で、切羽詰まってもう何もかも終えてしまおうと思った時、引き戻してくれたのは、2人の友達でした。帰ってもいい場所、生きててもいい場所になってくれた友達は、今まで誰にも言えなかった「助けて」を言った時、真っ直ぐに受け止めて守り続けてくれました。あの時を乗り越えさせてくれたから今があり、私は強さを知ることができました。
 そして何よりも、口にしないから気付いてもらえない、というのを当たり前のことだとわかっているのに、自由と放棄を履き違えた人達だと軽蔑して、何年も何年も本当に思ってることや考えから、どうせ伝わらないと全部諦める形で逃げ続け、口にせず、2人を求めないまま1人で抱えることで、たくさん悲しませて悩ませた両親は、私が2人を大嫌いだと思ってる時間にも、ただ私の幸せを願ってくれていました。裕福な家庭じゃないのに、重荷にしかならない私を放り出すこともなく、私以上に私のことを思い、考えて、高校入学という道を与えてくれました。中学生だった頃、夢にも思わなかった「高校の卒業式」というこんな大舞台に立つことができたのも、両親のおかげです。
 「行ってみんか?」と言ってくれてから3年間、ネムハイスクールに入学して、私は家族を愛せるようになりました。素直に感謝できるようになりました。人を信じることができるようになりました。少しは自分を許せるようになりました。そして、一番にこの3年間でたくさんの人を好きになることができました。与えてもらった3年の猶予はとても長い一瞬でした。今ここに私は、何の後悔もしていません。
 今まで、自分自身でレッテルを貼り、虚勢で笑い飛ばしていた夢を、笑わずに「絶対届く」と共に歩いてくれた友達、背中を押してくれた先輩、先生、家族に同じ時間を生きたことを後悔させてしまわないよう、そして私を後悔しないよう、これから日々を大切に自信を持って真っ直ぐ生きていきたいと思います。
 今までありがとうございました。これからもずっと大好きです。


平成24年3月 卒業生  Bさん

 私がネムハイスクールに入学した時、先が見れずにずっと家に引きこもり、過去にとらわれてばかりいました。自分を傷つけることでしか、自分を表現することができずに、ずっと一人で生きていると思っていました。友達には本当の自分ではなく、仮面を被ったように、元気な私を演じていました。辛いなんて絶対に言うことができませんでした。「ネムでも一人かな」って思って通っていましたが、傷だらけの腕を見ても、何も聞かずに普通に接してくれる友達に少しずつ、等身大の私で接することができました。しかし、楽しいことだけではありませんでした。ちょっとした気持ちのすれ違いが、どんどん大きくなって、仲直りができなくて、苦しかった時も、友達がくれる優しさを素直に受け取れなくて、ありがとうが言えずに泣いてしまったこともありました。だけど気付けば、また笑って話してくれる、そんな友達に何度も助けられました。もう自分を傷つけなくても、私をわかってくれる人がいる、それだけでとても嬉しく思えました。少しずつ少しずつ、前を見れるようになった私は、夢ができました。私にとって音楽は生きる希望をくれた1つで、私の楽しい気持ちも悲しい気持ちも音にのせて届けてくれました。この気持ちを、他の人にも届けたいと思い、夢を叶えるための一歩を踏み出しました。現実を見ると、とても難しく諦めてしまいそうになる時もありましたが、たくさんの人達に支えられ、今も夢を追うことができています。
 そんな私の背中をいつも支えてくれるお父さん、お母さん、今までいっぱい泣かせてごめんね。悲しませてごめんね。苦しかった時のこと、今では笑って話してくれる家族にいつも支えられています。中学生のことでは想像もできなかった高校の卒業式を向かえて、2人の目には少しは立派に映っていますか?
 お母さん、私は言ってはいけない言葉を何度言ってしまっただろうね。ごめんなさい。普段は言えないけど、今だから伝えます。産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。これからも心配かけると思うけど、2人が胸を張って自慢の娘と言えるように頑張ります。
 3年前の、人が怖くて仮面を被った私はもういません。嫌なことでも逃げずにちゃんと向き合うことで、1つずつ乗り越えてこれました。こんなに成長することができたのは、ネムハイスクールで過ごしたからだと思っています。
 岸和田さん、3年間色々あったよね。1年の時に、バンドを組む組まないで、すごいケンカして泣いたこともあったし、岸和田さんが嫌いで口をきかないこともあったし、「周楽」旅行に行かないって言った時もあったね。
 でも、小さな悩みから全部聞いてくれて、いけないことをした時はちゃんと叱ってくれて、私に元気がない時は一番に気付いてくれたね。
 アルバイトを始めた時、「お前も成長したな」って言ってもらえて、初めて自分が成長できたことに気づけたし、ずっと見ててくれたんだなって思えて嬉しかったよ。
 もう岸和田さんと大笑いしたり、うるさく言われなくなると思うと、すごく寂しいです。
 言いたいことはたくさんあるけど、3年間でここまで成長させてくれてありがとう。岸和田さんに出会えて本当に幸せです。3年間お世話になりました。
 ネムハイスクールで過ごした3年間は、私にとってかけがえのない宝物です。


平成24年3月 卒業生  Cさん

 私はネムハイスクールに入ってから、たくさん成長しました。その中でも最も成長したと思う所は、人とのコミュニケーションです。私は、ネムに入った当初はとても消極的で先生と話すことさえうまくできませんでした。しかし、先生方の手助けにより徐々に積極的になっていきました。そして2年生になった時、岸和田先生に「もっと色んな人と話すようにしてみたら」という助言をいただきました。しかしこの時の私は、特定の人とばかり話し、気の合わない人と話すことは避けていました。その上、あまり話もせず第一印象だけで嫌っている人もいるほどでした。
 それでも色んな人と話そうと思ったのは、あまり関わったこともないのに好き嫌いを決める自分の勝手さ、失礼さに気づいたからです。そのことに気づいた日から、私はあまり話したことのなかった人とも積極的に話し、そして夜寝る前にはその日の自分の言葉や対応に失礼などがなかったか反省するよう心がけました。
 それを続けたことで接客業のアルバイトにも挑戦することができ、更なる積極性を身につけ、今では初対面の人でも臆することなく話せるようになりました。そして、年齢も関係なく、先輩後輩、色んな人と仲良くなれたことで、日々を重ねるごとにネムに行くことが楽しくなり、また卒業が近づくたびに寂しくなったことも、消極的だった私にとってとても嬉しい変化でした。
 こうした成長を徐々にしてきたことで視野は広くなり、様々な物事に興味を持つようになりました。その1つが英語です。私はネムに入って井上先生や安部先生の留学経験の話を聞いて、外国の文化に興味が沸き、また外国の方とコミュニケーションをとってみたいと思うようになりました。そして、私は今までのような与えられた勉強ではなく、自分の勉強を始め、更に英語を学ぶ楽しさを知っていきました。私は中学校の頃、英語が大嫌いだったのでこの変化にはとても驚きました。この3年間の中でも、嫌いだったものが好きになり、興味の幅が広がったことは大変嬉しく思っています。
 しかし、最初は飛躍的に伸びていた英語力も、ある一定までくると全く伸びず、英検や模試でも点数が伸びなくなりました。これは高校生活の中でも特に辛く苦しい時期でした。時には、ネムで泣くことも、またネムに行くことさえためらうこともありました。そのような時でも先生方は励ましてくださり、野村先生にも学習のアドバイスをいただき、私に英語を続ける力をくださいました。最後まで諦めず続けたことで、大学という新しい道を見つけることもできました。
 私がネムから学んだことの1つに、人の価値観を認めることがあります。ネムの先生方は多くの生徒のどんな話でも意見や価値観を否定することなく聞いてくださいます。自分の方が年上だから、詳しいから、そのような理由で自分の意見が絶対正しいということはないのだと気づかされました。そのような先生方と3年間過ごして、私も人の意見を安易に否定したりせず、なおかつ人の意見を取り入れながら自分の意見、意志をしっかりと持っていきたいなと思っています。大学ではもっと多くの人と話す機会があると思います。そのような時、このネムから学んだ心がけを忘れずに過ごしていきたいです。
 最後に私に関わってくださったすべての方に感謝の気持ちを伝えたいです。この3年間私の思いを汲み取りながら支えてくれた友人、先生方、本当にありがとうございました。大学に進むことで山口を離れてしまいますが、また帰ってきた時には笑顔で迎えてくださると嬉しいです。そして、中学の時不登校だった私以上に悩み、ネムという私の居場所を見つけてくれた母、急に大学に行くと言い出した私の背中を押してくれた父、本当にありがとうございます。これからも多くの心配をかけるかもしれませんが、私がしっかり自立できるまで、また宜しくお願い致します。
 この3年間、私に関わってくださった友人、先生方、家族、すべての人が私の心の支えであり、様々なことを与えてくださいました。私もいつかは誰かに与えられるばかりでなく、誰かに大切なことを与えられるように、心の支えになれるような人間になりたいです。今持っている自分の向上心を手放さず、大切にずっと持ち続けながら成長していきたいと考えています。
 私がこれから大学に入ったら、高校の時もっと勉強しておけばよかったなという後悔も出てくるかもしれません。また、勉強以外でも様々なことに悩むことがあると思います。それでも私は、ネムハイスクールを選んだこと、卒業したことを誇りに思っています。


平成23年3月 卒業生  Aさん

 僕は中学校2年の時、人間関係に悩み体調を崩しました。中学校を卒業してから県外に出て、数年間アルバイトをして生活をしていました。孤独と不安の中で両親の深い愛情に気付き、山口県に戻ることを決意しました。
 中学校卒業では職業の選択が制限されるため高校卒業の資格を取ろうと思い、インターネットで検索して、ネムハイスクールの存在を知りました。
 初めてネムハイスクールに登校した時、人間関係の苦手な僕は不安で緊張していました。しかし、どの先生も笑顔で迎えてくださり緊張が一気に解れ、「この学校なら僕でもやっていけるのではないか」と思い、入学を決意しました。
 入学当初は先生方の優しささえ負担になる位、神経質になっていました。
 そんな時、救ってくださったのは、岸和田先生でした。毎日冗談を言って僕を笑わせ、その後でアドバイスをしていただきました。不思議と岸和田先生には何でも話せるようになり、僕が、「両親にさえ気を遣ってしまう」と打ち明けると、いろいろ相談に乗ってくださり、そのおかげで両親とうまくコミュニケーションを取ることができるようになりました。それが自信に繋がったのか、他の先生方の優しさを素直に受け入れることができるようになりました。
 そんな日々の中で成長していく自分を感じながらも、暗い影が差し込み始めました。その正体は「焦り」でした。自分の能力のことや年齢のことを考えれば考えるほど焦ってしまいました。その時も岸和田先生は「焦っちゃいけん」と言われ、アドバイスをくださいました。
 3年生になる頃には、岸和田先生は遠くから見守られるようになりました。「Aさんはもう大丈夫だ」と思われているのだなと感じました。
 安部先生は僕が体調の悪い時に「Aくん大丈夫?」と気に掛けていただき、忙しい時でも必ず声を掛けてくださいました。
 前田先生は「Aくんの笑顔はとってもいいよ」と言ってくださり、自信をつけてくださいました。
 中富先生は、日常生活での話など、いろいろな話をしました。とても話しやすい先生でした。
 針間先生は、いつも笑顔で、また、優しく勉強を教えてくださいました。
 井上先生とは、小説の話で盛り上がり、元気を分けていただきました。
 ネムハイスクールで出会った友人達は、僕の年齢を知って疑問を持ったこともあるだろうと思います。それでも、僕のことを受け入れてくれました。ありがとうございます。
 最後に、野村先生を始めとする、ネムハイスクールの先生方、本当にありがとうございました。3年間ありがとうございました。


平成23年3月 卒業生  Bさん

 ネムで過ごした3年間で学べたこと、成長できたことを考え振り返ってみると、感謝という言葉が私の心の中に浮かびました。
 過去の私は学校というものが嫌いでした。中学2年生の頃から学校に行かなくなり、将来について不安もありましたが、きちんと考える余裕もなく、ただ中学時代を過ごしました。「このまま高校にも行かずにいるのかな」と思っていた私がネムに来るきっかけとなったのが、友人がネムという通信制の学校に行くという話を聞いたからです。「高校卒業資格も貰えるし、通信制だから全然行かなくてもいいだろう」と軽い気持ちで入学しました。
 1年生の時の私は、この言葉通り不真面目で全く学校に行きませんでした。行っても話す人いないし楽しくない。そんな風にずっと思っていました。
 その考えが変わっていくきっかけとなったのが、2年生の最初に始めたアルバイトです。初めは辛く、辞めたいと思った時期もありましたが、結局1年以上続けることができて継続が苦手だと思っていた自分の自信にも繋がりました。
 そうしてアルバイトを続けている間、シフトが入っている日には少しずつでしたが学校にも来れるようになっていき、ネムに対する想いにも変化が出てきました。出席が増えると、1年生の時には会ったこともなかったクラスメイトと話ができたり、一緒に昼食を食べたり、学校生活が楽しいものなりました。その時、「楽しくないと思っていたのは自分で決めつけていたからなんだ」と自覚し、反省もしました。
 充実した時間を過ごしていると、あっという間に2年生が終わり、3年生になりました。3年生になってからは勉強面でも、滞りがちだった課題をきちんと提出できるようになりました。すると自分でも、少しは成長していけているのかな?という気持ちになり前向きになりました。
 先生方からも「成長した」と言われることが多くなりました。でも、成長したというより、成長させてもらったという方が私にはしっくりきました。先生方への感謝は言い表せない程たくさんあります。進路についても応援してもらい、とても勇気づけられました。
 私はこの3年間で“積極性”というものが身についたのではないか?と感じています。面倒くさかった学校行事にも参加したり、ほとんどしてなかった挨拶も増えてきました。
 高校に入り、できた将来の夢も、積極性が必要とされる接客業です。なので、春から行く専門学校でも今以上に努力して自分を磨いていこうと思っています。
 こんな風に思えるようになったのはネムのおかげです。卒業してもネムで培った積極性や他人への思いやりを忘れず、次のステージに進んでいきます。
 私を支えてくれた友達、先生方、本当にお世話になりました。すごく感謝しています。ありがとうございました。
 最後に岸和田先生。私がこの3年間で一番心配をかけてしまった先生だと思っています。先生との話の中で心に残っている2つの言葉があります。
 一つは、いつ頃だったかは覚えていませんが、「お前は一人で抱え込みすぎる。もっと悩みとか思ったことは人に相談しろ」という言葉です。私はその言葉に何故か驚いてしまいました。それまで本心をさらけ出すことは格好悪い、他の人にも悩みがあるのに、自分の悩みを聞いてもらうなんて悪い。そう思っていた私には考えられない言葉だったからです。
 もう一つは、「見た目なんかでとやかく言うような奴は友達なんかじゃない。ほっとけばいい」という言葉です。内心、「そんな簡単に割り切れない」「そんなありきたりな言葉・・・」と思う反面、どこかホッとしている自分がいました。それ以来、悩んだ時は相談するようになったし、思い詰めてしまうことも少なくなりました。私は岸和田先生のその言葉に救われました。一緒に学校生活を過ごしていく中で、「なんなんこの人?」と苛々して反抗的になって、ケンカみたいなこともたくさんしました。でも、それ以上に感謝の気持ちでいっぱいです。あの時は、うるさいなぁと思っていたことも、今は私のことを想って言ってくれてたんだなって理解できます。私がネムで頑張ってこれたのは先生の存在が大きいです。3年間本当に、本当にありがとうございました。
 それから、全然駄目で迷惑ばかりかけていた私を、見守っていてくれた両親にも感謝の気持ちでいっぱいです。今日まで、ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。


平成22年3月 卒業生  Bさん

 私は中学校1年生の終わり頃から不登校でした。なんとか違う自分になりたいと全日制の高校を受験し、頑張ってみましたが、友人関係でうまくいかず、また同じことを繰り返していました。当時は心も体もボロボロで心療内科に通っていました。このまま全日制の高校にいたのでは精神的に続かないと思ったとき、母が探してくれたネムハイスクールを知りました。ネムハイスクールは個性を生かし、自分のペースで学べる学校だと聞き、母と面接に行きました。そこで初めて岸和田先生に会いました。その頃心療内科に通っていた私に、岸和田先生が投げかけてくれた言葉で何かが取れて元気になっていくような気がするくらい嬉しかったのを覚えています。
 岸和田先生の言葉で自分に自信が持てるようになり、それ以来病院には行っていません。最初のうちは、電車で中学校の同級生と会うのが嫌で、バスで週2回のペースで通っていました。次第に友達ができ、毎日通うようになり、どんどんネムに行くことが楽しくなっていきました。
 2年次の文化祭では、友達と一緒によさこいを踊りました。早くからネムの近くの公園で練習をしました。時には友達と意見が合わず、思っていることをうまく伝えられず、つらくなった時もありましたが、練習を重ねていくうちに、一致団結をし、まとまりのあるチームになっていきました。当日は間違えたところもあったけど、思う存分楽しめました。一生忘れられない思い出になりました。また社会性を身につけるためにアルバイトを始めました。私はネムに行くうちにみるみる元気になりました。
 3年になり、介護の道に進む決心をしました。岸和田先生と面接の練習を何度もし、受験の前日には、みんなに「頑張って!!」と励ましてもらい、とても勇気づけられました。合格できたのはネムハイスクールのおかげだと思います。
 ネムでの2年間を通じて、僕は自分の考え方や在り方が変わったように感じます。
 かつての僕は勉強にプライドを求め、それにすがっていました。中学に上がってから複雑になった対人関係で、気に入らない相手を学力で見下すような態度を取り続けているとプライドはどんどん高くなりました。すでにいる友人との付き合いはうまくいったものの、新しい環境での対人関係はうまくいきませんでした。更に進学校でのあわただしい勉強に追われ、耐えられなくなり、高校1年の半ば頃から保健室登校の状態になってしまいました。
 ネムの存在を知ったのはその頃です。医師から適応障害と診断され、環境を変えなければならないと告げられたため、スクールカウンセラーの先生に相談したところ、ネムを紹介されました。こうして高校2年生の春からこちらに通うことになったのです。
 正直に言って、通い始めの頃はなぜ僕はここにいるのだろうかという疑問にしばしば駆られました。今までのレールから外れたことで得られた開放、自由は同時に恐怖にもなり、ネムにいることで安堵する自分と、高いプライドゆえに認めたくない自分が共存しており、それが現実逃避のような疑問につながったのだと思います。
 ですが、ネムで出会う人々はその疑問を見事に忘れさせてくれました。スタッフの方々はみんなとても暖かく、そして真剣に向き合ってくれました。転学当初、人見知りの僕に親切に話しかけてきてくれ、仲良くなった先輩方、また、同級生や下級生のみんな、誰に対しても感謝してしすぎることはありません。この全ての人々で構成されるネムハイスクールという場所は僕を支えてくれ、これまでの僕を変える重要な手助けをしてくれました。存在を認めてくれることが僕の支えとなり、プライドにすがる必要をなくしてくれたのです。
 もちろん両親をはじめ、家族にも感謝を欠かすことはありません。僕が不安定になったときも見捨てることなく向き合ってくれ、時には衝突することもあったけれどそれは僕のことを思ってくれるがゆえのことで、おかげで今日まで迷いながらも歩き続けることができました。
 こうした多くの人々の支えがあったからこそ僕は今ここに立つことができています。それも以前より確固として態度で。
 これから生きていく未来は決して明るいものとは言い切れず、どれだけの困難に見舞われるかわかりません。しかし、力強い支えを得た僕は何度迷っても、くじけそうになっても最後には今の、今以上の強さで立ち向かうことを誓います。そうして、いつか誰かを支えられる強さを得た時、今度は僕が支える側になり、それを今まで僕に力をくれた人々への恩返しとする、そんな日が訪れることを強く願い、努力します。
 最後にもう一度深い感謝の気持ちを込めて終わりとします。本当にありがとうございました。


平成22年3月 卒業生  Aさん

 私がネムハイスクールに来たのは高校2年生の時です。1年生の時に通っていた全日制の高校にはなじめずに、私は体調をくずしてしまいました。それでも大学進学を目指したいと思ったので、私はネムを選びました。
 転入してきた頃は教室に行かなくてはと毎日登校していました。しかし、なかなかすぐにはなじむことができず、課題ができているから行かなくても良いと思い、登校のペースを落としてしまいました。それが少し続いたあとに、このままでは前と同じだし、大学にも行けないと思って、初めの頃のように登校するようになりました。今ではあの時頑張って登校していなかったら現在の自分はなかったと思っています。教室に行ったから新しい友達ができました。先輩方が話しかけてくださってネムで過ごす時間が楽しくなりました。なにより自分自身が出せるようになりました。
 怖いと思っていた人間関係が上手くいくと、次は進学のことを考え始めました。私は将来、心理学を勉強してカウンセラーになりたいと思っています。だから、そのために大学と大学院に行きたいと思ったのです。しかし、どうやって勉強していいのかわからず、自分なりに勉強していたのですが、うまくはいきませんでした。その時に手をさしのべてくれたのは、やはり先輩方と先生方でした。最初は教えてもらった通りにはできませんでした。けれども先輩方に教えてもらった通りにやっていると不思議とうまくいくようになりました。先輩方のアドバイスがなかったらうまくいかなかったと思います。しかし、自分が3年生になった時、こんなふうに後輩に慕われる先輩になれるだろうかと不安になりました。でも、先輩方は先輩方で自分は自分なのだから、自分にしかできない接し方をしようと思って、3年生の春を迎えました。新しく入ってきた人はきっと昔の自分と同じで大なり小なり不安があるだろうから、まずは積極的に話しかけて教室になじめるようにお手伝いをしようと思いました。色々な人と話してみてわかったことは、先輩後輩に限らず一人一人に尊敬できるところがたくさんあるということでした。その時、人にはわからないことがたくさんあるということを再確認して、なおさら心理学を勉強したいと思いました。
 こうしてネムで過ごしていくうちに人間関係もうまくいくようになり、勉強にも専念できるようになった結果、私は目指していた大学の臨床心理学科に合格することができました。これから始まる大学生活に不安はありますが、ネムハイスクールで培った、人との関わり方や勉強の仕方などをふまえて新しい場所でも頑張っていきたいと思います。少し人とは違う道だったかもしれないけれど、私にはこの道が必要だったと思っています。この道を支えてくださった先輩方、友人や後輩たち、野村先生、スタッフの先生方、そして私をいつも支えてくれた両親に本当に感謝しています。本当にありがとうございました。


平成20年3月 卒業生  Aさん

 私は、この3年間ネムハイスクールで色々なことを学びました。私がネムに入り、学んだことは大きく分けて二つあります。
 ます一つ目に、「夢」を持つ大切さです。私は中学生の時に看護師になりたいという夢を持つようになりました。そして、自分の進学したいと思える学校を見つけ、一生懸命勉強をし、無事合格することができました。
 しかし、学校のイメージが予想していたものとは違うものでした。高校1年生の夏、私は高校を退学し、「夢」を失ってしまいました。ずっと追い続けていたものを失うということはこんなにも辛いものなのかと思い、これから私はどうしていったらいいのか分からない日々が続きました。でも、高校を出ていないと就職するにしても厳しいという現実。自分が通いたいと思える学校はどこなのか悩みました。そこで、児童相談所に行きネムハイスクールという学校を知り、少し不安な気持ちを持ちつつ通信制で勉強する教室のあるネムハイスクールに編入することにしました。編入手続きを終え、ネムのスタッフの方は、私の話を親身に聞いてくださり、これから一緒に頑張っていこうと声をかけてくれました。私は先生の言葉に心を救われ、ネムでこれから頑張っていこうという決心がつきました。今まで、「夢」を失いこれからどうしていけばいいのか分からなくなっている私にとってネムの存在は大きなものでした。日々、自分のペースで勉強し、自分の苦手な英語の復習などしました。私が悩んでいる時、相談に乗ってくださり、私の気持ちを救ってくださった先生方本当にありがとうございました。私は、日々先生と会話することによって色々なことを学ぶことができました。そして、会話をするうちに自分の夢は何なのか改めて考えることができました。その夢は中学生の時から追い続けていた夢。看護師になること。今、私は失いかけていた夢を取り戻すことができ、日々の勉強にもやる気がでていきました。こうやって夢を取り戻すことができたのは先生方の救いがあったからだと思っています。本当にありがとう。
 二つ目に、「友人の大切さ」です。私は前の学校を辞めたことによりそこでの友人との付き合いはなくなってしまいました。しかし、ネムに入り新たにたくさんの友達ができました。ネムで出会った友人はとても温かくすごくいい子ばかりでとても心のおける子ばかりです。皆これから別ればなれになってしまうけどこれからもずっと友達だよ。これからもよろしくね。本当に色々ありがとう。皆のおかげで無事、徳山看護専門学校に合格することができました。これから私は、夢を目標にし、頑張って信頼される看護師になりたいと思います。ネムのスタッフの皆さん本当に色々ありがとうございました。皆さんのことは一生忘れません。そして、家族のみんなありがとう。


平成21年3月 卒業生  Aさん

 私は、中学生の時にはとても自分から自分に向き合う気にはなれなくて、すべてを遠ざけていました。誰かに理解してほしくても話すことができず、悩んでいました。その時の私は自分だけが違う人間、自分だけが違う世界にいるような感じがして、みんなの視線が恐くて教室に入ることができなくなっていました。もう中学校には私の居場所はないと思っていました。でも、当時そんな私を救ってくれたのが保健室の先生でした。先生は私に居場所を作ってくれました。やっと自分の居場所ができたと思っていたら3年生になり、今後中学校を卒業したら私の居場所がなくなってしまうと思い、不安になっていました。すると保健の先生がネムハイスクールを紹介してくれました。
 初めてネムに行った時のことは今でもはっきりと覚えています。岸和田先生が面接をして私は緊張のあまり、うつむきながら話をしていたこと。時間が経つにつれて少しずつ笑顔になれたこと。今のままの私を受け入れてもらえると感じたこと。これから始まる高校生活に希望が見えたこと。全てが新鮮で私自身にとって大きな第一歩となりました。
 入学して始めの頃は、教室に入ると緊張して息が詰まる感じがしたけれど、中富先生と話をしているうちに気持ちが落ち着き、次第にみんなとも話ができるようになり、中学校では感じられなかった、私がいても良いと思える場所、中学校の保健室と同じぐらい私にとって癒しを求めることのできる居場所になりました。
 高校2年生になり3つのことに挑戦しました。一つ目は、初めてアルバイトをしたことです。アルバイトでは、社会性が身につきとても良い経験となり、学校外の友達もできました。二つ目は、中学校の時は参加したことのなかった「周楽」旅行に参加したことです。旅行中は、普通に話しながらみんなと歩いているだけでも幸せを感じ、食事の時には静かにもくもくと食べている私ですが、自然とみんなと話をしながら食事もでき、多くの人にとっては当たり前のことが私にとっては最高の幸せでした。三つ目は、文化祭のゲームの司会です。最初の頃はすごく不安でとても緊張しましたが、みんなと協力して無事に役目を終えることができ、達成感を得ることができました。私は2年の間でたくさんの経験をすることができました。
 高校3年生になり私は、二度目の「周楽」旅行に参加しました。山口校の友達や他校の人達とも話すことができ、昨年とはまた違う「周楽」旅行をみんなで過ごすことができました。
 文化祭の季節が近づき、後輩に文化祭でよさこいをやらないかと誘われました。最初はうまくやっていけるかと不安でしたが、練習の回数を重ねるたびにみんなと団結力が高まり、当日もみんなと楽しく踊ることができました。文化祭でみんなと一緒によさこいを踊ったことは、私がネムにいた中で一番の思い出となりました。私はネムハイスクールで過ごし、大切な人達と大切な思い出をたくさん作ることができました。
 不安になったこともある中、私は私らしくいられるネムハイスクールという場所で大切なものをたくさん得ることができました。ネムでは本音を言って、自分達のことを真剣に考えてくれる先生方、一緒にいるだけで心が温かくなれる友達、いつも文句ばかり言ってケンカばかりしているけど、私のことを心配して私のことを思ってくれている家族、そしてその人達と一緒に笑い合えるという喜び、私にとってネムは大切な人達とのつながりを作ることができた居場所でした。本当に感謝しています。なにもなかった私に、こんなにいっぱいあたえてくれてありがとうございました。
 私は卒業して自分の方向性をゆっくり考えて、ネムで過ごしたことを支えに私はこれからも歩いていきます。ネムと同じぐらい大切だと思える居場所を見つけ、自分の足でしっかり踏みしめて歩んでいきたいと思います。今まで私を支えてくれてありがとうございます。本当にありがとうございました。


平成19年3月 卒業生  Aさん

 私は前の学校で友達とのことをきっかけに、一番信頼していた先生から屈辱を受け、何度も過呼吸に陥りました。学校にも行けなくなり、カウンセリングに通いながら、自分との葛藤の末、転学を決めました。
 いろいろな学校を探しましたが、専門科へ進んでいたため受け入れ先がなく、先が見えない状態でした。そんな中、母親からのすすめで、ネムハイスクールに入学することになりました。
 入学当初、人が信じられなくなった私は、人が怖く、電車にも乗れず、学校になかなか行く事ができませんでした。祖父の送り迎えでなんとか行った日も教室に居ることが耐えられず、泣く日々が続いていました。そんな時、カウンセリングの先生の薦めで、コンビニのアルバイトを始めました。週六日のアルバイトを始めたことがきっかけで、電車にも乗れるようになり、又、空いている時間に少しずつ学校へ行ったりと、毎日が充実していました。しかしバイト先でも対人関係で過呼吸になり、辞めざるをえませんでした。その頃、学校では将来についての面談もあり、これで良いのかと少し焦りがありました。勉強をする習慣もなく、始めは椅子に十分以上座ることも出来ず、問題すら解けませんでした。何度も泣き、自分の無知さに腹が立ち、人に当たっては困らせてばかりで学校が嫌でした。先生、皆ゴメンね。
 日が経つにつれ、私は介護福祉士の母の影響で、中学二年生の時に、介護の世界に興味を持っていた事を思い出し、将来への希望がよみがえってきました。
 将来の希望、それは作業療法士になることです。心身共に患者さんに寄り添い、助ける仕事、これこそが私の就きたい職業だったと、ネムで生活していく中で思い出し、決意を新たにしました。そして私は猛勉強の末、山口コ・メディカル学院の作業療法学科に合格しました。
 この一年半で私は、人とのかかわりなしには生きて行かれない事、生きていくためには心・優しさが必要だという事を学びました。
 辛い時、苦しい時、私の八つ当たりを一身に受けとめてくれ、更にパニックに陥っても、自分が気付いていない部分を冷静にさとしてくれたお母さん、ありがとう。心配のタネが多い娘でゴメンね。
 そして友達。どんな時も私は一人じゃなかったよ。相談も愚痴も話せる人は周りにたくさんいた。自分では気付いていなかったけど、それは決して当たり前のことではなくて、とてもありがたいこと。ネムで出会った友達をこれからも大切にしたいです。最後に岸和田。しつこい岸和田。口うるさい岸和田。気分の波が激しい岸和田。私と似ている岸和田。普段の面談では、精神的に支えてくれる岸和田。受験の前日、電話してきてリラックスさせてくれた岸和田。どうでもいいと投げ出す自分をひきとめて、しっかり向き合ってくれる岸和田。小さいことから大きいことまで、色々ありすぎて思い出せません。今改めて何を言っていいのか分からないけど、ありがとう。
 私はネムハイスクールを離れるのが寂しいです。怖いです。居て当たり前の存在だった人達が、居なくなるのが不安です。
 自己中心的で、短気で、すぐ泣く私。でもこれからは、自分の足で一歩ずつ、過去は過去として振り返らず、前を向いて大人になって行こうと思います。そして、人の痛みがわかる強い人間になりたいと思います。
 今自分がここに居るのは、友達や家族、ネムハイスクールの先生方のおかげです。
あんな状態の私を受け入れてくれたこの学校に感謝するとともに、最後まで喧嘩し勇気づけてくれた岸和田に感謝したいです。ネムで過ごした一年半は、私にとっての宝物です。
 本当にありがとうございました。


平成19年3月 卒業生  Bさん

 僕は高校2年の8月に転校してネムに来ました。今、僕の高校生活が終わろうとしています。振り返ってみると、あっという間に時が過ぎ去り、まだ卒業という実感がわいてきません。僕は、前に通っていた高校で一年半、ネムで残りの一年半を過ごしました。最初にネムに来たときは、これが高校なのかなぁと思って驚きました。けれどもそのおだやかでゆったりとした空間が私にとても落ち着きを与えてくれました。そして、気がついたころには、その雰囲気になじんでいました。
 ネムに転校をする前の学校では、中学校から続けていたバスケットボールの活動が中心で、自主的な勉強はあまりしていませんでした。でもネムハイスクールに入ってからは、少しずつですが机に向かう習慣が身につきました。
 クラークの課題は早めに終わらせるようにして、一般教養を深めるために、履修科目にかかわらず、様々な科目の勉強に取り組みました。ネムのスタッフにアドバイスしてもらって、自分で計画を立てて実行する、という学習を積み重ねることで、自分の中の学習意欲が、日々高まっていくのを感じました。
特に苦手な教科の英語を勉強することを通じて、少しずつですが継続して学習をすることやコツコツと努力を積み重ねる大切さがわかってきました。そのうち、学ぶ楽しさを知ることができて、勉強をすることが面白くなってきました。
 そこで興味のある経済のことを学べる広島経済大学の受験を決断しました。推薦入試ではありましたが、学科試験がなく面接と調査書で評価されるので、ネムのスタッフと面接の練習を何度もしました。その結果、志望大学に合格することができました。これからの大学生活がとても楽しみです。
 大学に入学してからは、大学に毎日行って授業を受けるだけでなく、自主的に資格取得等を目指して目標を定めて頑張りたいと思っています。また、勉強だけでなく高校を転校する際に辞めてしまったことを後悔しているバスケットボールに、大学に入ってからもう一度挑戦してみたいと思っています。
 将来の目標は、まだ完全に定まってはいませんが、だからこそこれからの大学生活を大切に過ごし、充実したものにしていきたいです。大学に行ってもここで学んだ継続することの大切さと、自主的に物事に取り組む姿勢を忘れずにいたいと思います。
 一年半ありがとうございました。